竜とそばかすの姫とダブルヒーロー

 

 映画館は割と好きだし、行った後はまた頻繁に行こう、と思うが、結局行かない。ので、映画館で映画を見るのは一年に一回くらいだ。しかもコロナもあり、あまりいけなかったので、前回見たのは「クワイエット・プレイス」だ。

 その当時、レイトショーに憧れていて、レイトショーならホラーだろうと見に行った。ただよく考えたらホラーが苦手だったし、びくびくと震えながら見た。

 しかもその映画はキャッチコピーが「音を立てたら、即死」というもので、わりと静かな映画だったのに、ポップコーンを食べていたせいで周囲の視線が気になった。

 

 それが最後だったが、常々映画を見に行きたいなあ、と思っていた。

 で、グーグルニュースで、竜とそばかすの姫の感想があって、感想は読んでいないがなんとなく面白そう、と思い見に行くことにした。

 

 わたしが知っている監督と言えばスピルバーグタランティーノ黒澤明、そして細田守くらいだ。

 

 後の名前は全然覚えられない。

 

 細田守監督を知っているのは「明日のナージャ」のお気に入りの回の演出を細田守が行っていたからだ。

 

明日のナージャ」あらすじ

 孤児院出身の主人公の母親探しを主軸にして、双子のフランシス(貴族の令息、優しい)、キース(家を出た。義賊黒バラとして活動)との恋愛を絡めた物語。孤児院から出て、サーカスの旅一座に踊り子として加わり、各国を旅しながら色々な人達と出会う。

 

 

 わたしは小さい頃、あまり流行っていなかった明日のナージャが大好きだった。その中でも、特に好きなのはスペイン編。

 

 始終明るいナージャの話(結構ナージャの出自は暗いのだが)の中で、ひときわ人生の陰の部分を感じさせた。

 

 以下、うろ覚え

 

 スペインでナージャが出会ったのはスペインの英雄、闘牛士ホセ。彼は若い頃に、フラメンコダンサーのカルメンとお互いに愛し合い、一流になろうと約束する。しかし、カルメンは大富豪の外国人に見初められ、ホセを裏切り結婚。

 その後、ホセは失恋で命を惜しまなくなり、闘牛士として一流になる。しばらくしてカルメンが夫と離婚し、帰郷。カルメンは一流になったホセを見て、今の彼は私にふさわしい、と復縁を迫る。

 最初ホセは拒絶するのだが、カルメンの涙に流され、復縁する。その後二人は幸せそうにナージャと会話するのだが、内心で「なにかが足りない」とむなしく思う。

 

 確か、この後何話かあいて、また二人に焦点があたる。

 

 二人はお互い手に入れたいと思っていたものを手に入れたのに、虚しい。二人にとって若くなにも持っていない頃の方が満たされている。

 

 わたしは二人を見ながら人生の影の部分を感じさせた。見ていたとき小学生で、まだまだ時間と未来があると信じていた。ナージャの登場人物は皆割と明るく未来に向かって生きていた。だから、こうまで"なにかを失った人”に焦点を当てているのが、心に残った。

 人生に希望があって、人に希望があって、自分の人生を信じていた若い二人が、それを折られ、そしてもはや何を望んでいたかも分からない中、若い頃の希望に縋ってそれを得たとしても、もう心は満たされない。それは希望が輝かしいほど、澱んでしまうのかもしれない。

 

 そして、肝心の細田守監督が演出した回がスペイン編に挟まれている回。蜃気楼のような不思議な回なのだ。

 

 その日、スペインは猛暑で旅一座は暑さのあまりナージャ以外はぐったりしている。ナージャは一人で、スペインの市街をあるくのだが、その”暑さ”が影と光という形で鮮烈に描かれている。

 そしてそこで、キースに出会う。それまでナージャは義賊黒バラとして仮面を被ったキースしか見たことがないため、キースをフランシスと勘違いする。フランシスとキースは双子で顔かたちはうり二つ。ナージャはフランシスに憧れているのだが、黒バラにも何度か危ないところを助けられている。(ここら辺は完全に少女漫画)

 

 ナージャは久しぶりに出会ったフランシス(キース)に夢中で話をするのだが(結構ナージャのはしゃぎ方はうざかった)、フランシスはいつもと違う様子。フランシスはいつも優しいのに、今日はなぜだがぶっきらぼうだ、とナージャは珍しく「(話しすぎて)うっとうしいですよね」みたいなことをいう。ナージャは無神経に見えるくらいに前向きで明るいのに珍しい。

 キースとの会話の中で、背景の絵が本当に影絵のようで見事なのだ。もうこの回だけ異様にクオリティーが高い。アルハンブラ宮殿の回廊の陰と光が交互交互に差している様子と、その中でこの二人が歩いている。そこには素顔のキースがいて、ナージャは初めてくらい人の影のようなものを見ている。

 

 アニメ的にはフランシスは光、キースは陰とかかれる。

 

 でも勿論人間は両面をもっている。でもナージャは明るすぎて、相対する登場人物は陰の面を見せなかったり、ナージャ自身が見えていなかったりする。

 

 だから、ナージャのふとした"わたしが会話しているこの人とは?”という表情が新鮮だった。ナージャが真剣にその人を見て、その人自身を知ろうとしていることが、好きだった。いうなればナージャは人の光の、要するに表層を見てきた(良い意味で)のに、その奥には自分が今まで見たことがないものがあるという気づきがあったのだと思う。

 

 ナージャは途中で「貴方の別の面をしれた。いつもの貴方とは違うけど、もっと好きになった」みたいに言う。

 ナージャにとって光だけじゃないパーソナルなんて違和感だろうに、それを受け入れている。

 

 この回は人間の光と影、表面と裏側というテーマが、会話や背景が組み合わさって、よく伝わる良い回だ。

 

 

 ここ数年で細田守監督の作品がすごく有名になっているし、サマーウォーズは途中まで見たし(面白かった)、そんなときに何かのきっかけでこの回の演出を細田守監督がしていると知った。わたしの中ではサマーウォーズ明日のナージャなのだが、すごく才能のある監督なのだろう、きっと「竜とそばかすの姫」も面白いはずだとわくわくしながら映画館に行った。

 

 お金を奮発して、IMAXで見たし、ポップコーンも見た。久々に映画館で見るべき映画で、大満足だった。とてもわくわくしたし、映像に驚きや感動があった。

 

 そして、なんだか肩を落とすような不満とも幻滅ともいえない微妙な倦怠感が残った。

 

 この映画は、現実世界と"U”という仮想世界の二つの世界が描かれる。

 女子高生のすずは小さい頃に母を亡くしている。母は川で溺れかけている子供を助けようと川に入り、子供を助け、自身は助からなかった。そのとき、すずは母親がどうして私をおいてまで他の子供を助けたのか、と割り切れない思いを抱えている。それがトラウマで得意の歌が歌えない。

 そして"U”の世界で仮の姿を得たことで歌を歌えるようになり、全世界的に人気の歌手になる。ある日、"U"でコンサートをしていると竜と呼ばれるプレイヤーと正義の集団ジャスティスが乱入、コンサートがめちゃくちゃになる。竜(見た目は野獣)は"U"の世界でも嫌われる存在だった。(嫌われる理由が、バトル?のプレイスタイルが汚いとか)

 すずは竜の存在が気になり、関わりをもとうとする。しかし竜は他人を排除する態度ですずには心を開かない。また、他のプレイヤー達が竜の正体を暴こうとして、竜もどんどん追い詰められていく。

 

 

 この作品にはテーマが色々あるように見えるのだが、その中でも最も心を打ったのは、最初の"なぜ、母はわたしの手を振り払い、無関係の子を救おうとしたのか?"という問いを主人公が実感をもって理解した部分だ。

 

 すずは竜のために、身をなげうった(少なくとも映画ではそう描写されている)行動をする。そのときに、あのときの母親の気持ちを実感するという場面だ。

 

 もちろん、母の行動を頭ではいくらでも解釈できると思う。大人としての責務とか、動かずには居られなかった気持ちとか。でもそれを考えたところできっとすずは歌えなかったのだ。母に恨みは抱かずとも"どうして”と問うてしまうのは、母はわたしとの生涯より、あの場の子供をとったのだ、という気持ちを整理できないからだ。

 

 この"実感”というのが、とても印象に残った。

 ああ、母はこういう気持ちだったのだ、と納得・理解するのではなく、納得も理解もできないが、実感してしまうというのが、唐突だが何か人間の悲しさのようなそんな感情を持ってしまったのだ。

 

 私なら、分かってしまいたくない。

 母はあのとき、ああするしか無かった。そしてすずも、そうするしかなかった。

 そして何故、の疑問は二人の心情に吸収されていき、周囲に残るのは周りの実感を伴わない理解だけなのだ。

 

 

 そのテーマは好きだったが、そのほかに配置された数々のテーマは一作で扱うには多すぎたのか、少しまとまりがないように感じた。

 脚本も全て細田守監督が行っているらしいので、きっと作品との距離が近すぎて、粗が見えにくいのかなと思った。

 

 とのかく映像といい構図と良い素晴らしいので、もっと客観性がある映画だと素晴らしいのに、と残念だった。

 

 それに、私は結構恋愛能なので、忍君(幼なじみ)と竜(可哀想な子供)のどちらが本命なのだろうと、思っていたのだが、最後忍君とのやりとりが本命ぽくて悲しかった。(竜推しだった)

 もちろん竜は傷ついた子供だし、年下なので、すずからしたら恋愛対象にはなりにくいし、映画でも途中から竜へのロマンス色は消えた。

 

 ただそのあたりのちょっとした恋愛模様のようなものが、なんだか雑な印象で、ちょっとした気持ちの悪い感情が残った。

 

 ナージャでもそうだが、ダブルヒーローの場合、どうしても推してしまうのは、この人間にとって主人公は必要不可欠だ、というタイプだ。

 そういうタイプはやはり自立した人間に比べて、少し人間に欠落を抱えていることが多くややこしいタイプだ。賢明なヒロインなら、きっとややこしいタイプではない方を選ぶ。

 

 竜とそばかすの姫の主人公は、竜のために自己犠牲を払った瞬間、運命的(恋愛的な意味でなく)に賢明な道(忍)ではなく、賢明ではない道=竜を選んだのだと、勝手に解釈していた。

 

 だから最後の忍君の台詞も違和感があった。

 これから主人公は賢明ではない道を選んだ代償を払わされる筈だ。そこにかつてあった選択肢である忍君が現れるのは違和感があった。

 忍君は言ってみれば無責任な大衆なのだから、やはり代償は、すずの運命を傍観するしかないというところにある気がする。